17日夜、ひさしぶりに、弟から電話。


用件のついでに、という感じで、奥さんが三人目を妊娠したことを教えてくれた。


「わぁお。オメデト。国に表彰してもらわなあかんね」と、わたし。


どうしても、いま、妊娠出産の話題は、あの件、あの発言がからんでしまう。


Mに伝えたら、やっぱり、きゃつも。


「健全な希望を持って・・・・・・」


そこだけじゃあ、弱いでしょう。


子供を産む機械は、健全な希望をもって、三人目を産むんです!」


そこそこシュガー控えめなギャグになったか、と思うんだけど・・・・・・、

全然ダメぽ???



上二人が男の子だから、もう一人、今度は女の子が欲しい、と、いつだったか言っていた。

身内だけど・・・、エライなぁと思った。

かつて子供を産む機械であったわたしだが、二人であっぷあっぷだった (;´▽`A``

午後はホットヨガですっきり。首や肩の凝りだけじゃなくて、眼の疲れも。

ホットヨガのあとは、よく見えるようになる。たぶん、気がする、だけじゃなく・・・。


そのあと、いつもの喫茶店で「夢を与える」を約半分まで。

これはもう(やはり、というべきか)、まがうかたなき才能、だな。

「インストール」や「蹴りたい背中」の登場人物と隔世の感あり。


明日は、打ち合わせと書庫のシミになって、夜遅くまたホットヨガに行こう。

明日は・・・・・・といっても、日付はとっくに変わっているけど。


・・・・・・ホットヨガに行こう! 体じゅうがコリコリだw


それから、本を読もう。


この間、アマゾンで購入したままになっている、この本。


綿矢 りさ
夢を与える

もう寝ます(x_x)☆\(-_-メ)バキ


そうだ、お風呂に入らなくっちゃ_(.・)/ドテッ   


ゴラァ! 手抜きの日記を2日続けて書きやがって!


・・・ト、聞こえる声にあたり見回す丑三つの刻・・・

    

もう寝まするの午前五時。


以上でござんす(x_x)☆\(-_-メ)バキ


あの、あのあのあの「中村屋」が帰ってきたんです。


ukiki01さんところから、持ち帰らせてもらいました。多謝であります。



天下一フラッシュの「中村屋」でございますよ。


あたしゃ、うれしくってねぇ。


「祝辞篇」で大爆笑したのは、いつだったか・・・。


えっ? 見たことがない? 


では、まず、是非ともこっちからご覧なすって。→ ★祝辞篇


で、今度は「弔事篇」なんでございますよ。   → ★弔事篇

作者は違うらしいんですが。



どうぞ、音声ONをお忘れなく。


大声で笑える周辺環境も整えなすって、どうぞおにぎやかに。


このブログの編集ページ右サイドバーに「アメーバニュース」の欄がある。

数ヵ月ぐらい前にできたように思う。アメブロガーでなくても、閲覧可能だ。

当初から、こういうのも「ニュース」の範疇に入れるのか、

というような記事が目に付いて違和感があった。


2-3日前にニュースのヘッドラインを見て、Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン

アメブロを書く気が一気に失せたのだった。


こういう見出し。

高級ヘアトリートメントに精液
本文タイトルは「ゴージャスヘアには牛の精液が1番」となっていて、ロンドンの高級美容室ではこういう素材をヘアトリートメントに用いているという記事だった。

ところが、サイドバーのタイトルには「牛の」という言葉がない。この2文字を入れても1行に納まるけど。

論理的に言えば(爆)、「だからといって、<人間の>とは言っていない」ということになるんだが、たあいない内容の美容記事を「牛の」という単語を省いて、エロビデオ的イメージにしてるってとこ、ないか? 

こういう恣意的なタイトルの付け方は、イエロージャーナリズムの手法でしょう。無意識だったりしてね。それはかなりイッてますよ、そっちのほうに。


アメーバニュースに編集方針っていうものはあるんだろうか。

「面白いもの」、「えっ?と思わず読ませるネタ」を書くことが編集方針だったりするんだろうか。

その結果、イエロージャーナリズム的記事が増えようとどうしようと構わない、のか。それとも、積極的にその線を狙っているのか。



こんなのもあるぜ。

女にとって男の汗ほど“いい匂い”のものはない!?

はあ? そうなんですかあ。

しかし、なんなんだ? 上のニュースにしてもこのニュースにしても。

シモネタ満載の雑誌の埋草記事みたいなものが「アメーバニュース」なのか。



もうひとつ違う視点から突っ込みたい。


社長の顔写真に囲まれる アパホテルに泊まってみた
上の記事とは全く違うけど、こっちのほうが見ようによってはヤバクない?

企画出したら、通ったから行ってきちゃった。そしたらなかなかよかったよ、つうノリの記事のように読みましたが、【李下に冠を正さず】っていう故事成語、知らないのかな。

仕事として情報発信する者の自覚の問題だけじゃなく、社としての良識を疑われる、アパホテルとサイバーエージェント社はどういう関係なんだ・・・と、フカヨミ組に思われかねない記事のようにも見えるんだが。



目下は、2-3日前にくらべるとずっとまとも?

しかし、一般的なニュースでももっぱらゴシップ系を拾う、

それが「アメーバニュース」の方針?


はいはいはいはい。

大臣、また、おやりあそばして! 


「結婚・子供2人 極めて健全」 柳沢厚労相が発言

     (↑「ウエブ魚拓」というのをやってみました)

「若い人たちは、結婚したい、子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる。若者の健全な希望にフィットした政策を出していくことが大事」(記事より一部引用)


今回のほうが、「産む機械」の喩え発言より違和感を感じる人は少ないのかな。ウエブの雰囲気ではそうみたいですね。


文脈で読めば言いたいことはわかるけど、どーして、そういう主観的な形容をするのかなぁ。

結婚したくない、子どもを産みたくないと思う人は健全ではないのか、というふうに、わたしはひっかかりますが(※)。

「健全な」と2度言ってるということは、今度は全く問題意識がないということなんですね。

今度は謝ってないし、自分のキモチに正直な人ではあるのですね(苦笑)

(※)

「<AならばBである>と言っているだけで、<A以外はBではない>とは言っていない」というツッコミがありました。なるほど・・・。一方、

「<結婚して子供を2人持ちたいと希望するならば健全である>の対偶は<健全でないならば結婚して子供を2人持ちたいと希望しない>」ではないか、という意見も。



閑話休題

2月6日の朝日と読売の夕刊を読み比べてみました。

最近の朝日はどうしたんだヨォって感じですが(ex.朝日新聞が記事盗用=カメラマン、読売HPから ←ほんの一例)、今夜の朝日新聞夕刊はワタクシ的には◎。

多くの方々に排斥されつつあるw、フェミ的嗅覚において朝日に及ぶものはない、ということですか。

この記者会見の記事は読売ではあっさりと小さく、朝日には一面と社会面に。


朝日の社会面のコメントは、こんな感じ。

小倉千加子さん(一部引用)

「こういう発言が止まらない人が厚生労働大臣をしているから、ピントのずれた政策が続き、少子化が止まらないのだと思う。(夫の発言をメディアで叱った)奥さんはずっとまともな方のようだから、これからは外で何か発言する前に、奥さんにチェックしてもらった方がいい」 

遥洋子さん

「自民党内で『極めて理知的で温厚』と言われる柳沢大臣ですら、端々に女性を傷つける一連の発言をする価値観にとらわれているのがこの国だ、と知るいい契機になる」


超爆しますた。含蓄がありますな。



翌日(2/8追記)


○国会は論理の場だから(表向きは)、論理的には突っ込めないこの発言で、これ以上、野党が辞職を迫るとかえって逆効果になりそうですね。しかし、えっ?いま、何言いはりました?と聞き返したくなるような主観的な形容を、この方にかぎらず、公人にはしてもらいたくないなと思います。


○「国立社会保障・人口問題研究所が05年に実施した調査」は、http://www.ipss.go.jp/ の<人口問題>のページで閲覧できます。

「結婚と出産に関する全国調査-出生動向基本調査ー」第13回のようです。全国1,048 カ所、9900の回収票から 「18 歳以上35 歳未満の未婚男女を中心に集計分析を行」って、未婚男女計で7585人。「希望する子供の人数」以外に多くの項目の分析が掲載されていました。

 無銭優雅

ひょえ~~、と、わたしは心底驚いて、空気をいっぱい吸った。

空気っていうのはね、この本の空気。

そんで、ああ、やっぱり山田詠美はすごいなぁぁぁぁぁと、息を吐きながらうっとりしたんだった。


えっと、ほんの一例ですが、こういうところ。


 女の子。私のことか? そう自問したら、本当にそんな気がして来た。いい気になってきた。私のこと、埋もれさせないでもらえます? なんて、鼻持ちならないことを考えていたら、ころん、と転ばされて、いつのまにやら、彼の腕の中にいた。そうして、散らかったままの部屋の片隅で手ごめにされて気持がよくなって、まあ、いいか、と呟いた。幸せを呼ぶ場合に限り、投げやりは美徳だ。片付けは、明日、考えよう。考えるべき明日が来なかったとしたら、それも、また一興。未来がないから、不埒は至福。せちがらい世の中ですもの。目の前にある男の唇は、とりあえず吸っておかなくては。ちゅっ。美味ではないか。


とか、主人公は40歳すぎの花屋の主だから、こんなのもある。


 ご要望に合わせて、ちょっぴりお高いけど和紙も使う。悪目立ちしない丁寧に漉かれた紙は、花々に着崩されて粋になる。



こんな引用すると、乱暴に引き抜いた花みたいな感じになっちゃったか? スマソ


実はまだ50ページめなの。リアルタイムでうふふ、っていう感じを書いてみたくなったの。

いつもより明るいリズム感、のようなものがあって、でぇもぉ、山田詠美は山田詠美でありまして、ス・テ・キ。


ちょっとおしゃべり。

帯には「心中する前の日のココロモチで、つき合って行かないか」って書いてある。

途中にときどき「死に至る恋愛文学」、たとえば「風立ちぬ」とか「外科室」が引用されてる。

本の後ろに載ってるのを数えたら、21あった。

だけんど、山田詠美だからね。

そんなものに、引きずられないよぉ(いまのところ 爆)

引用は、接続詞か息継ぎみたいなものだな(いまのところ←そのうち、なにか仕掛けがあるのかな、とちょっと期待。なくてもいいよぉん)


「死に至る恋愛文学」なんつうのは、いまどき、どぉぉぉぉぉんな風に書いてもベタなんじゃない? と、半ばあきらめの気持ち、または読者の傲慢を密かにかましておりましたが、うむ、ナルホド。

「心中する前の日のココロモチ」か、すげぇな。


と、こんなに「すげぇ」を連発するなよ、恥ずかしい。


ということで、読書に戻ります(^^v


ちょっとその前に・・・。

<邦画のシェアが21年ぶりに洋画を上回る>というニュースを、過日、ぽりさん ちで読んだときは、うれしかったな。洋画も大好きなんだけど・・・。
この間、「大奥 」を見たとき、東映は元気だ!と実感して感激していたところだったので、二重にうれしかった。


bushi

武士の一分 公式ページ(


暮れに見たMは「よかった。キムタクもなかなかやるな」と言っていましたが、期待以上でした。


ファーストシーンからよいです。

東北の海坂藩(藤沢周平の故郷、鶴岡市にあった鶴岡藩がモデル)の下級武士の家の中。
新婚夫婦かな、ういういしい若々しい好もしい二人と、老僕がいる。
それで、キムタクの三村新之丞は、ほんとにそういう武士(見たことはないから、いかにもそういうイメージの、というべきか)なんだなぁ。
妻と話していて、方言のイントネーションで「あほだの」と軽口を言うとき、若い武士がどれだけ妻をいとおしく思ってるかがわかり、しかも貧しいながらも武士であり戸主であるという自覚(誇り)をもつ男であることがわかったのだった。「なかなかやるな」以上に、ファーストシーンで感動してる私(--; なお、いつもはとくにキムタクファンというわけではありましねぇ。


老僕(中間・ちゅうげん)の笹野高史も、うまいんだよねぇ。どの登場人物も方言がよかったけど、この人のセリフはとくに方言が効いていた。
きちんと上下の関係ができているのだが(当たり前だけど)、仕えながら保護者のようになる瞬間もあって、新之丞との距離が一定じゃない。セリフや表情からそんなことが見えて、とてもリアリティを感じた。


妻・加世役の檀れいも自然な感じでうまいっす、それに、ほんとにキレーだった。
余談ですが、Mとダチ(どちらも中年おやじ)は、檀れいがもにゃもにゃ(ネタバレになるので言明を避ける)のあと帰宅したとき、カメラがしつこく尻のあたりを追うのが、生唾ごっくんであった、と、超スケベなことを言っておった。どうしようもないサイテ!な奴らである。しかし、きゃつらは、並大抵のことでは女優を誉めないので、それだけ檀れいという女優はなんとも新妻のういういしさと色気を表現していたという証拠のようなものだろう。
あたしはキヨラカにキレーな女優さんだな、と思ったっす。


加世の衣裳についても触れませう。ファーストシーンからしばらくは、生成り地に藍と紅の大きな格子の紬(つむぎ)。紅色はあわくて、この地方で産する紅花紬の色を連想するとともに、やっぱりね、初々しい妻には控えめな紅色がふさわしい。
よそゆき着は、白地に明るい色の小さい柄を織った紬で、一見、小紋(こもん)風。普段とは違う少し改まった感じが白い小紋風の紬によくでていました。
質素だけれど(縮緬や綸子といった絹物は一枚も着せていなかった)きちんとしている、着る人の心映えと美しさが引き立つような衣裳でした。


ところで、再び、キムタク!
目がみえなくなってずいぶんたってから、庭で木刀を振るシーンを見たとき、わたし、えっ???と驚きました。ものすごく運動神経がいいのか? 運動神経がよければ、演じるにあたって練習すればここまでできるのか?と。
剣術の師匠、緒方拳よりも、決闘相手の坂東八十助よりもキムタクのほうがうまい? まさか・・・。役者としての剣の使い方がどうだというんじゃなくって、本当にウマイのではないか、こういうのを「太刀筋がよい」というんじゃないかと思いながらも、自分の目に自信をもてずにいた。
パンフレット見たら、当たってました。エッヘン!☆-( ^-゚)v
かつて剣道をやっていて、殺陣の指導者は二段か三段の腕前ではないかと評している。
何事によらず、上手いものを見るのは気持ちがよいものですが、庭で木刀を振り回すシーンは、もう一度ぜひ見たいシーンです。荒れた気持ちもあって、文字通りめくらめっぽう木刀を振り回すのですが、ビュッという音(この音は後で入れたかもしれない)で己のふがいなさやいらだちを恐いほどの太刀にしている。そんなシーンは演技としての殺陣ではなく、リアル剣道の腕がものをいう場面なのかもしれません。



全て事が済んで、ラストシーン。
これがまた、しみじみとよいのだ。
ファーストシーンと同じ家の中。やっぱり三人がいる。

しかし、新之丞と加世という人や関係に深みが加わって、しかもファーストシーン同様のつつましい明るさがある。
わたくし、まう、はれほれは。

エンドロールが流れる頃、ひとつ置いて左隣に座っていた60代半ばくらいの紳士が、とうとうティッシュで鼻をかみました。
私は、鼻をかむのだけはぐっとガマンいたしておりました。


見終えて、ほぉっと息を吐き、「女冥利に尽きる」映画だな、と思いました。
こういうふうに愛されたら、女は幸せでしょう。以下略w



それにしても(まだ書くか>すません)・・・。
タイトルと原作に関することですが、ネタバレなので白抜きにしました。

武士の一分」というタイトルはとても素敵ですが、妻に不義を強要した上司に対して(盲目になった自分の家禄が据え置かれるように殿に進言してやろうと、上司が妻に嘘を言ったことが原因であったとしても)、決闘という手段にせよ復讐することは、公私の区別をきちんとつけた武士にとって「一分」になりうるんだろうか、というのが疑問でした。
「武士の一分」ではなくて「夫の一分」(タイトルとしてはサイテ)ならわかるけど、と。
それで、藤沢周平『隠し剣 秋風抄』の中の原作にあたる「盲目剣谺返し」(このタイトルより映画タイトルのほうがいいですよね)を読んでみました。
藤沢周平は、三村の行動を「武士の一分」と考えていたのかどうかということです。具体的には「武士の一分」という単語が原作にあるかどうかを知りたかったわけです。予想は「ない」でした。
ところが、決闘シーンにありました。破れたり!ahaha(^o^;)
<だが、狼狽はすぐに静まった。勝つことがすべてではなかった。武士の一分が立てばそれでよい。敵はいずれ仕かけて来るだろう。静止は問わず、そのときが勝負だった。>
う~む、この行動もまた藤沢周平にとって立派な「武士の一分」であるのか。
と、感慨深いものがございました。


 隠し剣秋風抄  この短編集に納められた「盲目剣谺返し」が原作。


<三村新之丞は、立ち上がって居間を出た。目に光を失ってから一年半近く経つ。闇の世界にもだいぶ慣れて来たが、まだ物に触れながらではないと家の中を歩けない。一歩先に、思いがけない陥穽が仕掛けられているような不安が抜けなかった。>
これが冒頭です。原作「盲目剣谺返し」は新之丞がすでにめしいていて、妻に疑いをもつところから始まります。
原作と映画は、大筋は同じですが、冒頭部分がとくに違います。
声をだしてMに読んだところから一部抜粋。(ネタバレなので白抜きです)

<では、盲人として生きてみようかと思ったとき、新之丞は、それまで一縷ののぞみにひかれてとかく外にむかいがちだった心が、深く沈潜して内側にむいたのを感じたのだった。それまで何気なく見過ごして来た妻の寺詣りの陰に男がいる気配は、その沈潜した心が映し出したのである。>
そすると、Mは言いました。「現代小説だな」。その言葉に触発されて、私も思いました。「時代背景を江戸に借りた男の心理小説」なんだなと。 

新之丞の心理描写が際立つ原作、三人の人間関係を描いた映画、それぐらい原作と映画は違いました。

原作の会話文は標準語、この映画は方言を使っている。だから、「あほだの」という私を感動させたw新之丞の口癖、ラストにも有効に使われている言葉も原作にはない。この言葉や冒頭のシーンを作ったということだけをとっても、山田洋次監督は凄いな。



なお、こちらは松竹。松竹は松竹らしいですなぁ。

松竹もとっても元気ですね。うれすぃぃです。

東映「大奥」と松竹「武士の一分」の二本を、先週同じ日に見て、わたくしは幸せでござりました。