soredemo  ←「それでもボクはやってない 」のパンフ表紙。パンフも充実。

公開2日目の日曜午後、Mに誘われて行ってきました。

新宿歌舞伎町の映画館が並ぶスクエアに、「それでもボクはやってない」の長い行列。立ち見がでてました。


10年ぶりではあるし、ここのところ周防監督は宣伝のためにテレビ出演してるし、「しこふんじゃった」や「Shall we ダンス?」など今までのラインと傾向が違うし、さて、どんなものだろうと、興味津々。


あらすじ(パンフより抜粋)

就職活動中のフリーター・金子徹平(加瀬亮)は、会社面接にむかう満員電車で痴漢に間違えられてしまう。話せばわかってもらえると、駅員に促されるまま事務室へ向かうか、警察官に引き渡されてしまった。警察署の取調べで容疑を否認し無実を主張するが、耳を貸してもらえず逮捕され、留置場に拘留されることに。

徹平の母・豊子(もたいまさこ)、友人・斉藤達雄(山本耕史)らは、弁護士を探し歩いた。引き受けてくれたのは、元裁判官の弁護士・荒川正義(役所広司)と新人女性弁護士・須藤莉子(瀬戸朝香)。須藤は、痴漢事件の担当を嫌がるが、荒川は「痴漢冤罪事件には、日本の刑事裁判の問題点がはっきりとあらわれている」と、須藤にはっぱをかける。

検察庁での担当副検事の取調べでも無実の主張は認められず、徹平は起訴されてしまった。刑事事件で起訴された場合、裁判での有罪率は99.9%といわれている。

傍聴席には豊子と達雄、ついに、運命の法廷が始まった。



あらすじを詳しく書いたのは、ほかでもありません。非常にきちんとよくできた脚本だな、と思ったからです。よい映画でした。


いつもの星(5つ★満点 ☆は1/2)は

M ★★★★

私 ★★★★☆



「Shall we ダンス?」は、日本の中年男性にとって妻はその程度の存在なのか、とか、妻があんなに添え物でいるはずがないだろ、あるいは、日本人男性の若い女性好みがまざまざと、みたいな感じで(そりゃ、相手が草刈民代なら、妻も夫の憧れを認めるっきゃないかもしんないが 爆)、私はハリウッド版のほうが好きだし、よくできてると思ってる。(過去記事はココ

あの映画に対する違和感、わりきれなさは、今度の映画には全くなかったのでした。ま、そりゃ、主人公は独身ですから妻はでてきませんけど、そういう意味じゃなくって、ストーリーとか人物設定とか場面展開に全く不自然なところがないと感じた、ということであります。


最近?の社会派的な映画では「誰も知らない」を思い出しましたが、わたしはその映画を評価してません。主人公の男の子の眼力とかYuuがよかったとかには同意しますが。なんでかっていうと、子育て経験者からすれば、ありえねぇ~ってところがあちこちに。社会派の映画を作っているという制作側のリキミみたいなものも画面から漂ってきて、ちょっとクサクない?と思ったのでした(過去記事はココ ) そういう不要なアクが、この映画にないのがよい。


以下、出演者中心の話ですが、ネタバレっぽいので、白抜きにしました。

反転するときは、左クリックしたままズズズズ・・・と、引っ張ってください(なんつう表現、よけいなお世話)


まず私など、最初からもたいまさこの母親に感情移入しちゃいました。だって、息子がいるもの。裁判で、母親がわっと泣き出すシーンがあるのですが、そこで(実はそこだけじゃなくって)、わたくし、もらい泣きしました(^o^;)  過不足なく(最上の誉め言葉のつもり)うまいですねぇぇぇ。

新人の女性弁護士が痴漢行為を働いた男性を弁護したくない、という気持ちもわかるし、そういう設定も欠かせないところではないかと。

役所広司の弁護士、非常によかったです。この役者さんの達者さはよく知っていますが、この映画では達者という以上のものを見たような気がしました。

脚本を五度書いたという監督は、当初、役所広司を主人公にと考えていたが、「日本の裁判」に焦点を当てた作品を作りたかったので、家族の心情など問題が拡散することを避けるために独身のフリーター男性を主人公にしたらしいのですが、私はこの弁護士の役ははまり役なんじゃないかと思いました。また、周防監督→「Shall we ダンス?」→役所広司というイメージから遠ざかるためにも、このほうがよかったのではないか、と。

主人公役の加瀬亮、友人役の山本耕史も、それぞれの役が地なのか(気が弱そうな主人公と、やるときはやる友人)と思うぐらい、いい雰囲気。

アパートの管理人役でワンシーンだけ出演の竹中直人は、この映画で声をだして笑わせる役? 映画館全体が、そのとき(笑)になりましたもん。


映画館から出て、M曰く「この映画、受けるかな」というので、「どうして?」と聞いたら、「Shall we ダンス?」のように花のある映画じゃなく、真面目な地味な映画だから、というようなことでした。

「あなたの評価は?」と尋ねたら、上のように星4つとのこと。

なら、それはそれでよいのではないか、と私は思いました。

「受けるための映画ではない」と、覚悟を決めて作っているような気がしたので。


主旨どおり、裁判シーンが多いのですが、少しも退屈ではない。

ある種のテレビドラマのようにあざとくもないのが、よかった。

私の☆の-0.5は、映画の出来不出来というより、★5つは超傑作にしかつけないからです。


以下、個人的な、うんたらくたらなので、白抜きにしました(爆)


最後近くのシーンを見ながら、松本清張の短篇や、黒澤明の「羅生門」を思い出していました。

松本清張の短篇は、文庫本『真贋の森』に掲載されていた記憶(少しあやふや)がある小説で題名が思い出せないのですが、殺人で無実を主張して無罪判決のあと、弁護士が真実に気づく、というストーリーだったと思います。

清張の小説は弁護士側の問題、こちらは裁判官側の問題と相反する状況(パンフを読むと、あるシーンによって被告が無実であるという側面からだけで作っていない、真実は藪の中という側面をもたせているようですが、普通に見ると、まぎれもなく冤罪)のフィクションが、自分の身近にあるのは好ましいことではないかと。
そういえば、2009年から裁判員制度が実施されるな、なんてことも。なんでも当たったことがないので当たらないとは思うけど(これ、当たったら、しんどいよ、大変だよと思う)、国民が裁判に対する興味をもっともたなければならない時期なんだな、とも思ったりしていました。



もうひとつ、裁判官の判決文が非常に論理的(当たり前)だったので、こんなことを思いました。
論理至上主義というか、論理的であることが客観的であることと同義語のように使われる傾向に対して、わたしは常々、ちがうだろ!と思っているんですが、この判決シーンが論理に対する反発のような感情を誘発する土壌をもっているのではないかと。こういう危うさに製作者は気がついていて、元裁判官の弁護士に、裁判官の立場を母親や友人への説明と言う形でしゃべらせていると思うのですが。でも、一瞬、思いましたね。ふん、これが論理の正体だ、と(^o^;) 

そして、しばらくして思い返したのでした。

「論理とハサミも使いよう」なんだよね、わたしがこれ以上論理を捨ててどうする(爆)。


それはともかく・・・、

裁判についてよく知らないシロートに、論と情のバランスが取れた非常に受け入れやすいスタイルで興味をもたせ、問題を提示した映画だと思います。でも、そういうの抜きに上質のエンタメなのだ。

「日本の裁判」にも一石を投じるほどの評判になればよいな、と思ったのでした。


なんというスナオなカンソ(^o^;) 自分でツッコミいれたくなるような(;¬_¬)